ボール・ウォッチの歴史!

こんにちは!

今日はボール・ウォッチについてご説明をしたいと思います!

1891年アメリカで創業

創業者:ウェブスター・クレイ・ボール

1847年に生まれたボールは時計職人の見習いとして、

まず職を得てケースサプライヤーの

ジョン・デューバーなどのセールスマンとして全米を旅していたボールは

自らの宝飾時計店を開業する場所を探し始め、

最終的にはオハイオ州クリーブランドに定め、

程なくして開業「ウェブ・C・ボール カンパニー」を設立!

 

セールスマンとして、

旅行者として当時の太陽時の曖昧さに悩まされていたボールは、

1883年に標準時が制定されると直ぐに自身の宝飾時計店に導入しました。

クリーブランドの市民がボールの時間に

自らの時計を合わせただけでなく、オハイオ州のあらゆる地域で

「ボール・タイム」という言葉が「正確な時間」を意味する代名詞となりました。

 

その後ボールはクリーブランド地区と

ピッツバーグ地区の主任時計検査官に任命され、

1888年6月に時計検査員に対する

検査指示書(改善要求書に近い内容だったそうです)を提出しています。

 

そんな中で起きてしまったのが、

ボール・ウォッチの歴史を語るうえで欠かす事が出来ない”キプトンの悲劇”

 1891年4月 19日、同鉄道で列車同士が衝突、大破炎上する事故が発生します。

この事故で両列車の機関士は死亡、8名の乗務員が犠牲となり、

アメリカ鉄道史上でも類を見ない大惨事となりました。

 

当時、

アメリカの鉄道産業は目まぐるしい発展を遂げており、

力強い「機関車」は

アメリカ人の「アドベンチャー・スピリット」の象徴として映っていました。

しかしその一方で、各地で鉄道事故も多発し多くの犠牲者を生み出していました。

このような悲劇を繰り返さないためサザンミシガン鉄道は、

精度の高いクロノメーターの懐中時計を

当時販売していたボールを事故の検査官として抜擢、

彼はその原因が列車の機関士が持っていた時計が4分遅れていたこと、

そして鉄道運行に対するずさんな時間管理にあったことを突き止めます。

 

改善要求書に近かった内容のせいかは不明ですが、、、

指示書が表に出て、顧みられるのは

不幸なことに”キプトンの悲劇”の全貌をボール時針が解明した後でした。

レイクショア&ミシガンサザン鉄道からの全権委任を受けて、

“キプトンの悲劇の全貌を明らかにしたウェブスター・クレイ・ボール。

彼の定めたガイドラインが、

厳格無比な「鉄道標準時計」の基準となった事は有名な話しです。

ウェブスター・クレイ・ボールを主任検査官とする旨を伝えた、

レイクショア&ミシガンサザン鉄道発行の通達第1号。

 

調査の結果を踏まえボールは、

「鉄道標準時計の基準」と「時計検査システム」を制定し、

自らも「ボール ウォッチ・カンパニー」を設立、

鉄道員達に「正確な時間」を提供すべく尽力しました。

 

ボールが定めた「鉄道標準時計の基準」は時計の精度はもとより、

鉄道員の労働環境にも耐えうる耐衝撃性能、

時計のサイズ、5姿勢での精度調整、

瞬時の視認性を確保するために

文字盤インデックスにはアラビア数字を用いること、

また全ての鉄道時計に対して年2回の定期検査を義務付けるなど多岐にわたりました。

 

その後、

この基準と検査システムの導入によって

事故の件数は年々減少の途を辿り、

やがて全米鉄道の75%パーセント、

総延長175,000マイル以上で採用、

さらにはカナダ、メキシコに及ぶ広範囲で同基準とシステムがカバーされ、

「ボール・タイム」という言葉が「正確な時間」を意味する代名詞

にまでもなりました。

 

「ボール ウォッチ」は、

アメリカ鉄道に正確な時間管理の概念をもたらし、

鉄道時計のあり方の基礎を築いたのです。

クリーブランドの目抜き通りに面したボールの宝飾時計店。

“キプトンの悲劇を経て、

鉄道標準時計の基礎を固めた後は「ボール鉄道標準時計株式会社」へと改組、

鉄道時計の製造、販売に注力することになる。

鉄道標準時計の製造、販売に主力を移したボールは、

同時に時計検査官としての職務もこなした。

 

最盛期には180路線以上の検査を担当したという。

ウェブスター・クレイ・ボールが自身の宝飾時計店の前に据え付けた街路時計。

その時刻はワシントンD.C.の標準時に合わせられ、

程なくして“ボール・タイム”は正確な時聞と同義語になった。

 

こうした歴史を歩んできた「ボール ウォッチ」は、

現在は本社をスイスに移しながらも創業以来変わらない

『あらゆる過酷な環境のもとで正確な時を告げる』

というブランド・ミッションを掲げ、

当時の鉄道員達の過酷な労働環境下においても

視認性に優れ安全に使用できる

「丈夫で信頼性の高い時計(タフ&ディペンダブル)」

という製品開発精神を今なおしっかりと受け継いでいます。

 

全てのモデルの針と文字盤インデックスに取り付けられた

「自発光マイクロ・ガスライト」は、

いかなる場所でも昼夜を問わず四六時中発光し続け、

暗闇で時刻を容易に読み取ることができます。

 

そして「耐衝撃性」、「耐磁性」、「防水性」など

厳しい環境でこそ機能する機械式時計の開発に力を注ぎ、

近年ではケース素材に耐蝕性の高い

「904L」スティールの採用や

「自社ムーブメント」の開発など注目を浴びています。

 

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