1983年に登場し、
今では130か国以上の世界中の人々に愛用され、
世界への出荷は1億本以上となっています。
そのような今もなお人々を魅了するG-ショック(G-SHOCK)の魅力に迫ります。
◎目次◎
1、腕時計の常識を覆したG-ショック(G-SHOCK)
2、『壊れない』腕時計を実現した構造
3.G-ショック(G-SHOCK)の生みの親、「伊部菊雄」氏
4.G-ショック(G-SHOCK)はリンゴ大くらいの大きさだったかもしれない!?
5.G-ショック(G-SHOCK)の頑丈さが良く分かるCM
1981年当時、腕時計はまだ貴重品で、
注意深く扱っていた時代です。
薄く軽い時計がトレンドで、
最薄・最軽量が競われていました。
そのような時代に
カシオの技術者伊部菊雄氏は、
そんな常識に疑問を持ち、
『腕時計はもっと生活に根ざしたもの。
使い込みほどに味わいが出てくるジーンズのような
時計が作れないだろうか』
という考えのもと
1983年に「腕時計は貴重品」という常識を覆し、
『壊れない』腕時計を具現化したのが、
初代G-ショック(G-SHOCK)DW-5000C-1Aです。
初代G-ショック(G-SHOCK)で実現した耐衝撃構造は、
モジュールががっちり守るのではなく、
ケースの中で浮遊させる考え方。
いくつかの「点」でモジュールを支え、
衝撃を分散させる逆転の発想です。
その外部をウレタンベゼルや緩衝材で取り巻くことで、
10mの自由落下にも耐える構造を完成させました。
現在は、技術革新によりモジュール自体も
耐衝撃性を備えるなど進化していますが、
中空構造の考え方は継承されています。
3.G-ショック(G-SHOCK)の生みの親、「伊部菊雄」氏
今までもご説明をさせて頂いている
耐衝撃構造を発明したG-ショック(G-SHOCK)の生みの親が
「伊部菊雄」氏です。
元々父親からもらった大切な時計を不注意で落として、
壊してしまったことから、
「落としても壊れない腕時計」
という企画書を会社に提出し、
プロジェクトがスタートしました。
4.G-ショック(G-SHOCK)はリンゴ大くらいの大きさだったかもしれない!?
当初はモジュールに、
緩衝材を巻き付け、
壊れない時計を作ろうと考えますが、
その構造で作るとリンゴ大の大きさになることが分かり、
プロジェクトは難航し、
月曜日に、あと1週間で結果が出なければ
責任を取り、このプロジェクトは終わらせようと思い、
考えに考え抜いても良い案が出ずに、
最終日の日曜日に研究室を片付けなければと、
休日出勤に来た際に、隣にあった公園で
少女がマリ突きをしているのを何となく見たことにより、
伊部氏は、
「あのボールの中に時計があったら壊れないのではないか!」
と閃き、
時計の内部でモジュールが浮いた状態を作るという事を考えつき、
G-ショック(G-SHOCK)の誕生となったのです!!
5.G-ショック(G-SHOCK)の頑丈さが良く分かるCM
G-ショック(G-SHOCK)が発表された
1年後の1983年に、発表された
DW-5200C-1の頑丈さをアピールするために、
走り込んできたアイスホッケーの選手が、
強烈にシュートを放ったのは、パックではなく、
G-ショック(G-SHOCK)。
キーパーが見事にキャッチしたグローブの中で、
何事もなかったように時を刻んでいるというCMでした。
そのDW5000シリーズをフルメタルで、
誕生させたGMW-B5000-1JFの誕生を記念し、
下記のようなセルフカバーのCMも発表されました。
当初の開発のコンセプトである
使い込みほどに味わいが出てくるジーンズのような時計
という考えのもと
現在も、魅力的な商品や人気で即完売の商品、限定モデルなども
数多く発表されているG-ショック(G-SHOCK)。
ぜひA.M.I名古屋パルコ店、豊田店、ネットブティックで
お取り扱いさせて頂いております。
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